寄稿:榎本 裕介(博士(工学) / 昭和学院中学校・高等学校 理科・情報科教諭)

AI時代に必要な学びとは何か。 現在、教育界ではこの問いに対し、スキルセットやリテラシーといった語彙で、新しい正解を定義しようとする動きが加速しています。しかし、こうした議論の多くは、将来のために、今これを学ぶべきという、目的合理性に縛られた準備主義の域を出ていないように私には感じられます。
2025年12月25日、渋谷ストリームのGoogleオフィス。三谷商事主催のセミナー「昭和学院のGemini活用最前線」という場を共にしながら私が考えていたのは、AIというプリズムを通して見えてきた、教育の再構築についてでした。これまで一緒くたに扱われてきた教育という白い光が、AIというプリズムを通ることで分光され、現在の学校教育がいかに将来への準備という特定の色に偏っていたか。その歪みが、鮮明に浮かび上がってきたのです。
1. 「道草を楽しめ」——正解への最短距離を走らせない教育
私は10年以上、担任として受け持った300人以上の生徒たちへ、入学式で一貫して伝えてきた言葉があります。
「道草を楽しめ」(*1)
多くの生徒たちは「なんかよくわからない」という印象を持っていたと後に卒業生から聞きましたが、それでよいと思っています。その答えは教師から与えられるものではなく、生徒たちが学校生活という経験の中で自ら掴み取っていくものだと考えているからです。
理科の教員として生命の歴史を俯瞰すれば、進化を促してきたのは常に、合目的的ではないゆらぎや変異の連続でした。最短距離を走ることだけが正解ではない。教育も同様です。主論理を将来の特定の役割のための準備に置いてはならない。無駄を厭わず、今この瞬間に人間として最大限に成長し、充足すること。ジョン・デューイが100年前に説いた「教育は生活の準備ではなく、生活そのものである」という理想は、科学的な観点からも極めて妥当な成長のモデルなのです。
(*1) 冨樫義博 著『HUNTER×HUNTER』に登場するジン=フリークスの台詞より引用
2. 「AIは嘘をつく」と教える大人の危うさ
AIに負けないスキルを求める議論は、結局のところ、生徒を将来の市場価値という枠に収める準備主義の延長線上にあります。しかし、理科と情報科を横断して生徒と向き合う中で感じるのは、生成AI(Gemini)の真の価値は準備主義からの解放にあります。よく聞かれる「生徒に情報の信憑性をどう判断させますか」という問いは、もはや古いと言わざるを得ません。最新AIは、推論能力が飛躍的に向上し、根拠の提示すら可能になりつつあります。これは聞きかじっただけの知識を流ちょうに話す人間とどう違うのでしょうか。
私たちが真に心配すべきは、AIの嘘ではありません。むしろ目の前の人間から提供された情報の信憑性を疑わないという、私たちの側にある無批判な姿勢ではないでしょうか。どこかで「AI”は”嘘をつくかもしれない」という言葉の中に「AIでない人間や書籍の情報には嘘が無い」という推論を内包してしまっていることが危険なのです。AIの正確性を測るスキルを磨くことよりも、誰から提示された情報であってもまずは自らの知性で咀嚼し、問い直すことが重要です。親や教師の言いなりになって学びと向き合い、それが当然になってしまわぬよう、自律を促すのが教育が担うべき領域です。
AIによって情報の整理や定型的な作業を肩代わりさせることは、単なる効率化のためではありません。より深く、より贅沢に思考を遊ばせること、そして情報に流されず自らの足で立つ知性を養うためにあるべきなのです。
3. 「ICTのデメリットしか教わらなかった」生徒の告発

イベント当日、Googleのオフィスにて教育関係者や企業の方々を前に、昭和学院の生徒たちが自らの探究プロセスを共有しました。GeminiやNotebookLMを活用し、自走した教科学習や、生徒会活動、アプリ製作など幅広い活用事例の紹介がされました。高校生がクリスマスの夜に渋谷のGoogleオフィスという場に立ち、大人たちを相手に堂々とプレゼンをする。それだけでも驚くべきことですが、私が最も衝撃を受け、ある種の痛みを伴って受け止めたのは、彼らがパネルディスカッションで語った「学校教育への違和感」でした。
「今までは、ICTのデメリットしか教えてもらってきませんでした」
ある生徒が放ったこの一言は、私たち大人が無意識にかけていた「教育という名のブレーキ」を鋭く告発するものでした。実際にAIを使ってみたらいろんな景色が見えたけど、使う前はただ制限をされるだけでどんなメリットがあるかなんて想像できなかったそうです。
「生成AIを使うことに怖さはなかったか?」と問われた際にはこう答えました。「『そんなものを使ったら自分は楽なほうに流れてダメになってしまうかも』という怖さはありました」。
これが、私たちが生徒にしてきたことの正体かもしれません。新しい技術を渡す際、まずリスクを語り、制限を設け、安全な使い道だけを示そうとする。その結果、生徒の中に植え付けられたのは、好奇心ではなく「楽をする=悪いこと」「便利な道具=自分を堕落させるもの」という罪悪感と恐怖だったのです。
しかし、その「呪い」を解き放ち、自由にAIに触れたとき、彼らが見出した景色は全く異なるものでした。
「いくら間違えてもいいし、こんなこと聞いてもいいのかな、ってことも遠慮なく聞ける」
「AIの役割を考えることで、私の役割がわかってきました」
彼らがAIに見出したのは「堕落」ではなく、対人関係や評価を気にせず思考できる「心理的な安全性」でした。そして、大人が教え込んだリスク管理の枠を超え、自らAIという他者と対峙し、自分の役割をメタ認知するという高度な自律性を獲得していったのです。
実のところ、彼らの営みの入り口は、英検対策や成績向上といった準備主義的な動機でした。しかし、大人が植え付けたデメリット情報の呪縛から解き放たれ、自由な海に漕ぎ出した彼らは、もはや最短ルートをトレースすることに興味を示しませんでした。自ら試行錯誤して答えを探すプロセスそのものを楽しみ、未知の問いに向き合う充足感に浸っているようでした。
私たち教育者がすべきことは、転ばぬ先の杖を用意してデメリットを説くことではありません。生徒を信じて、リスクという名のブレーキを外し、広大な海への航海を許すこと。そうすれば彼らは、大人の想像を遥かに超えた速度で、自律的に泳ぎ始めるのです。
4. 共鳴する教育現場の声
セミナーの終了後、会場に集まった多くの教育関係者から寄せられた声には、AIに対する戸惑いではなく、新しい教育への希望と、それを自校でも実践したいという強い意志が満ちていました。現場の最前線に立つ先生方の言葉を紹介します。
「義務教育課程での生成AIの可能性について、改めて前向きに捉えるきっかけとなりました。生徒の皆様の学問に向き合う姿勢もすばらしく、感激いたしました」
「同じ学校の教員を誘い、来てもらいました。ハンズオン形式で体験してもらったことをとおして、学内での広がりを期待しています」
そして、とりわけ印象的だったのは、この実践がまだ「途中経過」であることを歓迎する次のような声でした。
「2026年バージョンを知りたい」
これらの言葉は、今日の発表を「完成された正解」として受け取るのではなく、来年にはまた全く違う形へ進化しているであろうプロセスそのものへの期待を物語っています。多くの教育者が、現状への違和感を抱えながらも、そこから解放され、共に進化していく未来を渇望しているのです。
結びに:共に再構築を始めるために
AI時代、人間は何を学ぶべきか。 世の中はしばらくの間、特定のスキルの中にその答えを探し、迷走し続けるかもしれません。本質がスキルの習得ではなく、自律的な思考の更新という経験の中にしかないことに気づけるのは、今はまだ、ごく一部の少数派に留まるでしょう。
しかし、だからこそ、その違和感に気づいた私たちが勇気を持って実践に移していくことが、何より重要だと考えています。12月25日のセミナーは、学校という場所を将来のための待機場所から「今を全力で楽しみ、進化する場所」へと再定義する一つの起点となりました。
「道草を楽しめ」。 入学式で投げかけたその一言が、数年後、どのような意味を持って生徒の中に結実しているか。そのプロセスを支えることこそが、教育の本質です。この教育の再構築という試みに共鳴し、共に実践を積み重ねていきたいと願う皆さんと、また次の現場でお会いできることを楽しみにしています。
著者プロフィール
榎本 裕介(えのもと ゆうすけ)
博士(工学)。昭和学院中学校・高等学校 理科・情報科教諭。 教育の再構築を提唱し、科学的視座と最新のICTを融合させた教育を実践。入学式では毎年「道草を楽しめ」とだけ説き、生徒が今を全力で楽しめる学びの環境設計を追求している。
お問い合わせはこちら
本コラムに関するお問い合わせはこちらからよろしくお願いいたします。